古代朝鮮 (講談社学術文庫)本pdfダウンロード
古代朝鮮 (講談社学術文庫)
井上 秀雄 / 本
古代朝鮮 (講談社学術文庫)本pdfダウンロード - 井上 秀雄による古代朝鮮 (講談社学術文庫)は講談社 (2004/10/9)によって公開されました。 これには312ページページが含まれており、本というジャンルに分類されています。 この本は読者からの反応が良く、13人の読者から5の評価を受けています。 今すぐ登録して、無料でダウンロードできる何千もの本にアクセスしてください。 登録は無料でした。 サブスクリプションはいつでもキャンセルできます。
古代朝鮮 (講談社学術文庫) の詳細
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タイトル : 古代朝鮮 (講談社学術文庫)
作者 : 井上 秀雄
ISBN-104061596780
発売日2004/10/9
カテゴリー本
ファイル名 : 古代朝鮮-講談社学術文庫.pdf
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古代朝鮮 (講談社学術文庫)本pdfダウンロード - 内容紹介 檀君神話、広開土王陵碑、任那日本府、白村江の戦いと唐との戦争――。中国・日本との軋轢と協調を背景に統一への歩を進めた古代の朝鮮。旧石器時代から統一新羅の滅亡までの朝鮮半島の政治・社会・文化とはどのようなものだったのか。『三国史記』『三国遺事』をはじめとする文献類の精査によって、その実像を鮮やかに復元した古代朝鮮史研究の傑作。(講談社学術文庫)古朝鮮、三国時代、そして統一新羅へ激動の朝鮮半島を生きた人々の歴史檀君神話、広開土王陵碑、任那日本府、白村江の戦いと唐との戦争――。中国・日本との軋轢と協調を背景に統一への歩を進めた古代の朝鮮。旧石器時代から統一新羅の滅亡までの朝鮮半島の政治・社会・文化とはどのようなものだったのか。『三国史記』『三国遺事』をはじめとする文献類の精査によって、その実像を鮮やかに復元した古代朝鮮史研究の傑作。“日本”の視点からのみ“朝鮮”を見る姿勢は誤っている。朝鮮文化は日本文化を説明するためにのみ利用されてはならない。その独立した歴史展開、さらに、古代の東アジア全体の国際関係の中への位置づけ、それをぬきにして朝鮮古代史への正しいアプローチはないと思う。そして、そうした観点からする歴史的探索・実証の上に、新たなる日本史、新たなるアジア史、さらに新たなる世界史像の形成がなされていくにちがいない。―― 内容(「BOOK」データベースより) 檀君神話、広開土王陵碑、任那日本府、白村江の戦いと唐との戦争―。中国・日本との軋轢と協調を背景に統一への歩を進めた古代の朝鮮。旧石器時代から統一新羅の滅亡までの朝鮮半島の政治・社会・文化とはどのようなものだったのか。『三国史記』『三国遺事』をはじめとする文献類の精査によって、その実像を鮮やかに復元した古代朝鮮史研究の傑作。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 井上/秀雄 1924年生まれ。京都大学文学部史学科卒業。東北大学名誉教授・樟蔭女子短期大学名誉教授。専攻は朝鮮古代史・古代日朝関係史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カテゴリー: 本
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1972年に出版された本の文庫版となる。そのため、高句麗好太王碑の日本軍改ざん説も残っていた時代のものとなる。また、魏志韓伝に記載された韓と接する朝鮮半島の倭は日本列島の倭とは別物という説を上げ、好太王碑に書かれた倭は朝鮮半島の倭だとする。魏志倭人伝の倭は資料系統の異なる混乱したものとしている。以前邪馬台国朝鮮半島説というものもあった。それはこれを元にしているのだろう。ただ、日本の邪馬台国論争は漢文書き下しによる訳の問題、『魏志』の倭の部分ばかり見て大月氏など西方の位置記録との比較が行われなかった問題、長里にこだわり短里で見なかった問題により発生しており、それが克服されれば混乱など一切していなく、正確な記述だったことがわかってきている。本書では中国の文献の正確性を主張する上で『宋書』に百済が遼東半島の西にあるとの記述をあり得ると記載しているが、同様に現在は『魏志』も正確なことがわかってきている。朝鮮半島の倭が別の倭であったらこのようなまぎわらしい書き方はしないだろう。後の大和朝廷とは異なるだろうが、九州の邪馬壹国を中心とした海洋連合体の一部と思われる。だだし、日本書紀に引用される『百済記』、『百済本記』が隋による高句麗遠征による国際的圧力から百済がわざと日本寄りに記載しているという点は納得がいった。書かれた当時の国際的な力学に、国際的な力学に曝された経験の無い日本の学会がこれに無関心であることを本書では批判している。任那日本府のように日本という当時無かった概念が使用されていることはそれ以前から指摘があった。ただ、日本書紀の記載は聖徳太子の時代には無かった国司という概念が使われたり、当時の概念は執筆時の概念に書き換えてしまう傾向があり、そこは『百済記』、『百済本記』がそうしたのではなく、日本書紀が書き換えたように思われる。書かれた時期が古く、その後の発見が踏まえられていないにしても、今読んでも読み応えはあり、逆に今の風潮で見過ごされている点も多いことが気付かされた。倭王武が百済新羅任那の将軍を宋から認められたとしても、将軍の官位としては高句麗や百済よりも下の官位だった。武力は認められても文化的に宋は百済より下に倭を見ていた。それが継体天皇による任那四県割譲とその代わりの五経博士招聘になったのだろう。古代朝鮮の研究は古代日本を研究する上で避けては通れないはずだが、日本語で読める古代朝鮮の歴史研究は本書から進んでいないことを憂う。
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